初めまして“彩子といいます”
こんにちは、そして初めまして。イタリア在住10年になる彩子(あやこ)といいます。今現在はエミリアロマーニャ州のアルジェンタ(フェッラーラ県)に住んでいます。
今日からこちらの steelinkitchen のブログで記事を書かせていただくことになりました。日本で生まれ育ち、現在イタリアに住む私がどんな目線で日々を生きているのか、またまだ知られていない日本について、私のフィルターを通してご紹介できればと思います。
さて、記念すべき第一回は私が一体何者でどうして10年もイタリアにいることになったのか、そんなことをお話したいと思います。
少し時を戻して: 出発前
イタリアでのお話をする前に少し時を戻しましょう。農業系の大学を卒業したにも関わらず、当時大学の部活動で行なっていたボート競技を続けるべく、社会人チームのある企業に就職し5年がたった頃でした。ボート競技自体は2年半ほどで引退したのですが、会社のご厚意で素晴らしい同僚に囲まれ、引き続き同じ会社にとどまり、マーケティングの仕事をしていました。
やりがいのある仕事、大好きな仲間たちと恵まれているのにも関わらず、何かが足りない日々。考えた末、自分の好きなことをやって社会貢献したい、それに海外に住んでみたいという夢を叶えたいという思いを無視することが出来なくなってきました。
Ayako nella squadra di canottaggio aziendale. 2008, Sendai (Prefettura di Miyagi)
夢の中の夢
海外に住む事は私の夢の一つでした。当時(そして現在も)海外に住む手段はいくらでもあります。ならば好きな事で生きれるうようになろう。
好きなこと、小さい頃から料理、お菓子作りが好きだった私は料理を勉強することに決めました。となると国は、イタリアかフランスかな、と安易に考えます。当時私の好きな料理といえば、華やかでおしゃれなフレンチかイタリアンだったのです。
選択とプロジェクト
大学で専攻したフランス語は散々たるものだったので、フランスは無理だな、じゃイタリア!とそんな感じで決めてしまったのでした。行った事も特に興味もなかったのに!
当時は周りを納得させるために、それらしい理由を挙げる必要がありました。
説得のための動機付け
食文化の知識を深めたい、料理の腕を上げたい、イタリアはスローフード発祥の土地だし、プロの仕事を目の前で見てみたいなどに少しでもそれらしい動機を作り上げるのに必死でした。
事実イタリアでは、理想と現実が乖離している事も、思うようにいかない事もたくさんありましたが、私のこれらの後付けの動機ですら達成する事ができたと思います。
イタリアが呼んでいる!
大半の友人は私の無謀さをよく知っているので、「あんたならどうにか生きてけるでしょう、楽しんでこい!」でした。言いにくいこともしっかり言ってくれる友人達は、具体的なアドバイスをくれたりする人もいました。例えば少しでも現地の言葉を学んでから行くべきだ、とか料理を少しでも覚えてから行くべきだとか。
全てのこれらの言葉に感謝の気持ちをこめて、でも全くそのアドバイスを生かすことなく私はイタリアに向けて旅立ったのです。
とはいえ、こんな弱々しい動機であれ、そして無謀であれ、飛ぶように10年が経過し数えきれないほどの素晴らしい経験をしました。それもこれも全てこの10年間ここで出会った素晴らしい人々のおかげです。
これからそんな素晴らしき私のイタリアでの経験をお話したいと思います。
「ボンジョルノとボナセーラ」のお嬢さん
さて、イタリア語といえばボンジョルノ、ボナセーラとグラッツのみ、最後まで勉強することすらしなかった私がイタリアに降り立った2010年3月。
語学学校と料理学校が一緒になったフィレンツェの学校に通いました。大半が日本人の学校だったのでホームシックにかかることもなく、楽しく日々を過ごしておりました。
とはいえ学校の期間が終わればレストランでの研修がカリキュラムに組まれているので、語学は必死に頑張りました。その甲斐もあって4ヶ月後には、必要最低限の日常会話は聞き取れるようになり、生活にも困らなくなりました。
初めてのイタリアの「アモーレ」
学校のカリキュラムでのレストランは自分で選ぶことが可能だったため、休みの度遠出をして、興味のあるところへ出向いては話を聞いていました。
その道中で私はトスカーナマレンマ地方ソラーノのアグリツーリズモ、Sant’Egle にお世話になり、たった1泊でしたがこの場所にすっかり恋に落ちてしまいました。話をした所、幸運にも自然に囲まれた美しい場所で半年ほどを過ごすことができました。
時の流れが止まったような、美しい大自然とそんな穏やかな空気の中で、オーガニックの畑から野菜を収穫し料理し、世界中色んな国からくる人々と交流する。正確に言葉では表せないけれど、今でも自分の中での原体験といっていいほど素晴らしい日々でした。
Agriturismo Sant’Egle
Agriturismo Sant’Egle: l’orto
Agriturismo Sant’Egle: le verdure
トスカーナの豊かな恵みを表現する料理
その後料理の研修をするため、Sant’Egleのオーナーが紹介してくれたピティリアーノのスローフード協会に登録されているレストラン「il tufo allegro」で研修することになります。ここマレンマ地方は、
土地で取れる沢山の野菜やハーブを使い、基本的には貧しい料理と呼ばれる「クッチーナ ポーヴェラ」がベースになっています。肉は豚や子羊の他、ジビエのイノシシや野うさぎも。骨や臓器まで無駄にせず、見えない部分こそを丁寧に行う、そんな仕事をしていました。
ここでイタリア料理の真髄に触れ、すっかりイタリア料理の奥深さに魅了されてしまいました。結局研修後もお世話になり2年間ここで過ごしました。
uno dei miei piatti preferiti della trattoria Il Tufo Allegro
in compagnia dello Chef Domenico Pichini
海に再び:魚の料理を学ぶ
その後山の中のレストランなので、肉料理が中心だった事もありシェフのドメニコに頼み、魚料理のレストランを紹介していただき、リボルノ県マリーナ ディビッボーナのミシュラン星付きレストラン. 「La pineta」で研修できる事になりました。
ここでは本当に沢山のことを学びました。素晴らしいレストランとは決して料理だけを指すのではない、サービス、設備、雰囲気、最終的にはお客様それぞれがハーモーニーを生み出し、どれ一つ欠けてはいけないという事。
料理において「不可欠」で「本質」であること
またシェフであるルチャーノの哲学は自然のままで美味しいものに、人間が必要以上に手を加えないという事、全てのものは生まれたままに美しいという事を料理を通して表現できる事を教えてくれました。
この教えに心から感動しこのレストランには約3年弱お世話になることになります。事実彼の料理は驚くほどシンプルです。ですがシンプルな事ほど奥深く難しいという事をこのレストランでの仕事を通して知ったのです。
con i miei colleghi de ‘La Pineta’
世界で一番美味しいパネットーネ:アルジェンタ・パスティッチェリア グアランディでの経験
そんな日々の中、とある料理のイベントでエミリアロマーニャ州のお菓子屋さんと一緒に働く事になります。シェフいわく彼の作るパネットーネがイタリア一美味しいと聞き興味津々。なぜならそれまで一度たりともパネットーネを美味しいと思った事がなかったから。スーパーマーケットにならぶパネットーネを食べていたのだから、それもそのはずですが。
早速、パティシエのマウロに半ば無理やり頼み込み、今現在住んでいるアルジェンタの「Pasticceria Gualandi」で短期の研修を開始しました。当時は夏でパネットーネの時期ではありませんでしたが、正確さや科学的理論を必要とする仕事と、彼の仕事の無駄のなさやセンスに魅了されました。後に幸運にも研修を継続できることとなりました。
もちろんパネットーネはこんなに美味しいものだったのか!と目からウロコ。シンプルな材料にも関わらず、長い時間の発酵に複雑な工程を経て生み出される、味わい深い、リッチで宝石のような食べ物にすっかり惚れ込んでしまいました。毎日が新しい事や学ぶ事の連続で人生でこんなに楽しい事はないというくらい充実した日々を送っているうち、
6年もの日々が経過しました。イタリア語のみですが、このお店のパネットーネを紹介したブログもあるのでご覧くださいませ。こちら
Mauro&Ayako
Sauro, Mauro e Ayako
それではまた次回お会いしましょう
現在は妊娠中のためこの10年の慌ただしくも充実した日々からは距離を置いて生活しています。このブログではこんな私の10年間のイタリアでの日々から得た目線を通して、日本とイタリアの生活を比較したり、日本の表面的ではない文化や生活をお伝えしていきたいな、と思います。
是非ご意見やこんな事を知りたい等あればお知らせくださいね。ではまた次回お会いしましょう。ここまで読んでいただきどうもありがとうございました!
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